ほしかったのは励ましじゃなくて慰め

前記事で書いた、体力が著しく低下していたときのこと。
あまりの元気のなさに自分でも辟易として、少し気力をわけて
もらおうと、友達に電話した。

その友達、わたしより4歳年上なのにいつもものすごく元気で、
いまでも登山を楽しんでいる。なにしろ山から帰ってきたその日のうちに
プールに行き、そのあと友人たちと雀卓を囲んだというのだから、すごい。
わたしだったら、山へなど行ったらそのあと1週間くらいは寝込んで
しまうだろう。

わたしが現状を説明すると、彼女いわく「マーチって意外にデリケートなのね」
だって! 失礼しちゃう。デリカシーの塊のようなこのわたしをつかまえて、
「意外に」とは何よ!

それはともかく、彼女は親身になって元気になるための方策を考えてくれた。
「運動したほうがいいよ、身体を動かさずにいるとますます体力が落ちるから」

それはそうなんだけど、そのときのわたしにはとても無理だった。

「少し歩いたら? いい散歩コースはないの? わたしの友達で、毎日
リュックしょって買い物に行っている人がいるわよ」

歩くことの重要さはわたしだって百も承知だし、リュックをしょって買い物にも
行っている、毎日じゃないけどね。体力の落ちていない普通のときなら
片道20~30分くらい歩くのは平気。でも、いまはダメ・・・・・・・。

「あら、気力も落ちてるの・・・展覧会とか映画とか観に行くのは? コーラス
グループに入るのもいいよ。声を出すのは健康にもいいし」

ええ、元気なときならね。でも今は、そういうことを考える気力さえないの。
彼女がいろいろとアイディアを出せば出すほど、わたしはますます落ち込んだ。
それもダメ、これもダメ、いまはダメ。気力も体力もなくて、とても考えられない。

あまりにもわたしが否定的なので、しまいに彼女は「マーチ、歳をとって頑固に
なってるんじゃない?」とまで言った。う~ん、そうなのかなあ。そうだとしたら、
反省しなくちゃ。

でも、電話を切ったあとで気づいた。わたしがほしかったのは元気になるための
方策や励ましではなく、慰めの言葉だったのだ。「大変だね、マーチ、ぐっすり
眠れるようになるといいね。睡眠が足りて元気になれば、気力も回復するわよ。
今はゆっくり休んでね」と言ってほしかった。

常に気力も体力も充実している彼女には、体力がなく、何もする気になれない
というのがどういうことなのか理解できないのだろう。だからへたばっている
わたしが歯がゆかったんじゃないか。もちろん彼女のアドバイスはどれも、
善意から出たものだ。ただ、そのときわたしがほしかったものとは一致して
いなかった。

今度、彼女に会うチャンスがあったら、言ってやろう。そういうときのわたしには
励ましは効かないよ、って。わたしに必要なのは慰めなんだよ、って。


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