嵐のあとの日々

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zoom RSS ほしかったのは励ましじゃなくて慰め

<<   作成日時 : 2018/05/15 16:45   >>

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前記事で書いた、体力が著しく低下していたときのこと。
あまりの元気のなさに自分でも辟易として、少し気力をわけて
もらおうと、友達に電話した。

その友達、わたしより4歳年上なのにいつもものすごく元気で、
いまでも登山を楽しんでいる。なにしろ山から帰ってきたその日のうちに
プールに行き、そのあと友人たちと雀卓を囲んだというのだから、すごい。
わたしだったら、山へなど行ったらそのあと1週間くらいは寝込んで
しまうだろう。

わたしが現状を説明すると、彼女いわく「マーチって意外にデリケートなのね」
だって! 失礼しちゃう。デリカシーの塊のようなこのわたしをつかまえて、
「意外に」とは何よ!

それはともかく、彼女は親身になって元気になるための方策を考えてくれた。
「運動したほうがいいよ、身体を動かさずにいるとますます体力が落ちるから」

それはそうなんだけど、そのときのわたしにはとても無理だった。

「少し歩いたら? いい散歩コースはないの? わたしの友達で、毎日
リュックしょって買い物に行っている人がいるわよ」

歩くことの重要さはわたしだって百も承知だし、リュックをしょって買い物にも
行っている、毎日じゃないけどね。体力の落ちていない普通のときなら
片道20〜30分くらい歩くのは平気。でも、いまはダメ・・・・・・・。

「あら、気力も落ちてるの・・・展覧会とか映画とか観に行くのは? コーラス
グループに入るのもいいよ。声を出すのは健康にもいいし」

ええ、元気なときならね。でも今は、そういうことを考える気力さえないの。
彼女がいろいろとアイディアを出せば出すほど、わたしはますます落ち込んだ。
それもダメ、これもダメ、いまはダメ。気力も体力もなくて、とても考えられない。

あまりにもわたしが否定的なので、しまいに彼女は「マーチ、歳をとって頑固に
なってるんじゃない?」とまで言った。う〜ん、そうなのかなあ。そうだとしたら、
反省しなくちゃ。

でも、電話を切ったあとで気づいた。わたしがほしかったのは元気になるための
方策や励ましではなく、慰めの言葉だったのだ。「大変だね、マーチ、ぐっすり
眠れるようになるといいね。睡眠が足りて元気になれば、気力も回復するわよ。
今はゆっくり休んでね」と言ってほしかった。

常に気力も体力も充実している彼女には、体力がなく、何もする気になれない
というのがどういうことなのか理解できないのだろう。だからへたばっている
わたしが歯がゆかったんじゃないか。もちろん彼女のアドバイスはどれも、
善意から出たものだ。ただ、そのときわたしがほしかったものとは一致して
いなかった。

今度、彼女に会うチャンスがあったら、言ってやろう。そういうときのわたしには
励ましは効かないよ、って。わたしに必要なのは慰めなんだよ、って。


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